月別: 2017年5月

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とある膀脱がん患者の例(3)

左頸部リンバ節への膀脱がんの転移だった。

再入院の上、前回ある程度効果を示したという多剤併用化学療法を再度一コース受けた。次いで頸部に放射線療法を受け、しこりは完全に消滅した。

詳細な全身の検査でも他には異常がないので退院を許可された。

それから八カ月後、近ごろ何となく身体がだるいこと、隣家の主人から「加地さん、最近顔色が黄色いのでは」といわれ、加地さんは「またか」と暗い気持ちになった。

「これはもしかすると今度は帰れないかも知れない」、と考えた加地さんは、福島市の親戚に来てもらって万一の場合の打合せをしたに、国立がんセンター中央病院に三度日の入院をした。

検査結果は多発性の肝転移による黄疸の始まりだった。加えて骨盤骨、肋骨にも転移が認められた。

事ここに至って加地さんは医師とくり返し今後の見通し、治療計画について話し合った。

自分のがんの状態をよく知りぬいていた加地さんは、これまで告知、治療の選択などすべて自分一人で考えて判断を下してきた。

今回も考えぬいた末の結論は「無治療、緩和医療のみを希望する、といぅものだった。国立がんセンター東病院の緩和グア病棟へ移ることも含め、 いくつかの選択肢に関して医師とよく話し合った末、もうしばらく中央病院で肝機能の庇護、疼痛緩和の医療を受けることになった。

それから約一カ月半のうちに徐々に全身状態は悪化し、あれほど頑強だった加地さんも八キ口ほどやせ、 ついには病室を出ることもできなくなった。

けれどもこの間も医師や看護婦とも平静に対話し、感謝の笑みを浮かべつつ意識を失ない、それから三日日の朝、息をひきとった。

 

一種の尊厳死ともいえる。

生前の希望どおり、解剖がなされ、骨盤内や頸部の局所にはまったくがんの再発の所見はなかったにもかかわらず、肝転移、骨転移は激しいものだった。

解剖に立会ったE医師はこの病気の難しさを改めてかみしめていた。

加地さんの例は、医学的に見れば敗北である。

しかし、治療方針を決定する重要な節日、節日で加地さんが自分自身の意志を明確に示し、最後は尊厳死に至った過程を振り返ってみると、現状で考えられる過不足のない医療ができたのではないか。

そんなふうに考えるのは医療者側に立てばのことであろうか。

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