カテゴリー: 未分類

未分類

過剰治療による死(2)

自然排尿型新膀眺は、やはり回腸を約六十センチほど切り離して新しい膀眈を作る。

この新しい膀眺を患者さん自身の尿道に吻合することにより、パウチを貼ったり自己導尿をしたりする必要がなく、 一日に五―六回、トイレに行って腹圧をかけて、 つまり息んで新膀脱内の尿を尿道から排出する、 つまり自然排尿ができることになる。

だとしたら、この方法がもっとも生活に支障のない理想的なものに思えるが、この方法にも問題点はある。

この手術法が国立がんセンターで実施されるようになっイ、まだ十年たっていないので、長期の治療成績がわからない。

それと、時には排尿がうまくできなくて尿道を通して自己導尿が必要となる場合もあるし、夜間に尿が少し漏れることがあり、パッドを使って就眠しなければならない場合もある。

つまり、ここに紹介したような現代の代表的な尿路再建法にはそれぞれ一長.短がある。河田さんはH医師から示された、パネルを見比べ、それぞれの方法の長所、問題点をくり返しH医師に確かめて、数日かけて考えた結果、二つ目の自然排尿型新膀眺を選択した。

もちろん同じ病棟内には各々の方法ですでに手術を受けた患者さんもおり、そうした患者さんたちにもいろいろと様子を聞き、さらに病棟内に備えられたビデオを見てイメージを得た上での決定だった。

この過程がいわゆる一インフォームド・コンセント(十分な説明のもとに、患者自身が納得して治療法を選択し、その治療を受けることを同意することこの実践そのものといえる。河田さんの選択の根拠は、「仕事にもどった際の生活の支障が自然排尿型がもっとも少なそうだ」と考えたことによる、と後に語ってくれた。

一九九0年二月、リンパ節郭清を含む膀眺全摘除術が実施され、希望どおり、自然排尿型新膀洸を作って尿路が再建された。

病理検査の結果、やはり浸潤性膀眺がんであったため、手術後に化学療法を一コース受けて退院した。幸いにリンバ節転移は認められず、望み得る最善の結果が得られた。

退院後も自然排尿はきわめて順調でほとんど手術前と変わらない日常生活を送ることができ、河田さんは念願の仕事にもどり、再び多忙なビジネスマンの生活に復することができた。

河田さんは「自分は良い選択をした」と何度も思ったという。

河田さんはきちんとニカ月に一度の定期検査に来院し、模範的な生活を続けていたが、 一九九二年一月、不幸にしてリンパ節転移が発見された。

膀眺全摘の際に切除したリンパ節よりもさらに上方のリンパ節に再発したのである。

手術の時点では画像診断でもとらえることのできない微小転移があって、それが約二年の間に徐々に育ってきたものと思われる。

再入院の上、現代最強といわれる化学療法をさらに2コース受けたが、リンパ節転移巣の大きさは変わらなかった。

Be the First to comment. Read More
未分類

とある膀脱がん患者の例(3)

左頸部リンバ節への膀脱がんの転移だった。

再入院の上、前回ある程度効果を示したという多剤併用化学療法を再度一コース受けた。次いで頸部に放射線療法を受け、しこりは完全に消滅した。

詳細な全身の検査でも他には異常がないので退院を許可された。

それから八カ月後、近ごろ何となく身体がだるいこと、隣家の主人から「加地さん、最近顔色が黄色いのでは」といわれ、加地さんは「またか」と暗い気持ちになった。

「これはもしかすると今度は帰れないかも知れない」、と考えた加地さんは、福島市の親戚に来てもらって万一の場合の打合せをしたに、国立がんセンター中央病院に三度日の入院をした。

検査結果は多発性の肝転移による黄疸の始まりだった。加えて骨盤骨、肋骨にも転移が認められた。

事ここに至って加地さんは医師とくり返し今後の見通し、治療計画について話し合った。

自分のがんの状態をよく知りぬいていた加地さんは、これまで告知、治療の選択などすべて自分一人で考えて判断を下してきた。

今回も考えぬいた末の結論は「無治療、緩和医療のみを希望する、といぅものだった。国立がんセンター東病院の緩和グア病棟へ移ることも含め、 いくつかの選択肢に関して医師とよく話し合った末、もうしばらく中央病院で肝機能の庇護、疼痛緩和の医療を受けることになった。

それから約一カ月半のうちに徐々に全身状態は悪化し、あれほど頑強だった加地さんも八キ口ほどやせ、 ついには病室を出ることもできなくなった。

けれどもこの間も医師や看護婦とも平静に対話し、感謝の笑みを浮かべつつ意識を失ない、それから三日日の朝、息をひきとった。

 

一種の尊厳死ともいえる。

生前の希望どおり、解剖がなされ、骨盤内や頸部の局所にはまったくがんの再発の所見はなかったにもかかわらず、肝転移、骨転移は激しいものだった。

解剖に立会ったE医師はこの病気の難しさを改めてかみしめていた。

加地さんの例は、医学的に見れば敗北である。

しかし、治療方針を決定する重要な節日、節日で加地さんが自分自身の意志を明確に示し、最後は尊厳死に至った過程を振り返ってみると、現状で考えられる過不足のない医療ができたのではないか。

そんなふうに考えるのは医療者側に立てばのことであろうか。

Be the First to comment. Read More