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がんの実例

過剰治療による死(3)

つまり、化学療法の効果はもはや期待できないわけである。泌尿器科グループの症例検討会では河用さんの今後について真摯な議論がなされた。

「原発巣がかなり進行した膀眺がんであったこと化学療法に効果を求めることはもはやできないこと、膀眺から遠く離れた遠隔リンパ節に再発したことから、河田さんの膀脱がんは全身化していると考えるべきであり、治せる見通しはきわめて少ないことなどを考えて、緩和療法を今後の目標としよう」、と結論し、H医師は河円さんに方針を説明した。

担当医としても苦渋に満ちた説明だった。
しかし、河田さんの願いはあくまで病気が治ることで、緩和医療はまったく念頭になかった。治って再び仕事にもどりたい、という河田さんの強い意志と迫力に負けて、H医師は再度河田さんの治療方針を症例検討会にかけた。

議論のはて、最終的に河円さんの希撃を入れ、手術方針が選択された。骨盤内のリンパ節転移巣を切除し、浸潤が及んでいたS字結腸を合併切除し、骨盤壁にまで広がっていたがん巣に対してとり残しが出ることが確実だったので術中照射といって一回に大量の放射線を骨盤壁を目がけて照射した。

しかし、河田さんの再手術後の経過は悲惨だった。手術後は高熱が連日続き、汎発性血管内凝固症候群といって出血傾向を伴う重大な合併症を併発し、わずか二週間のうちに肝、腎、肺などの多臓器不全で亡くなってしまった。

担当したH医師はもちろん、泌尿器科グループの反省は深刻だった。いかに患者さんの要望が強かったとはいえ、成算の見込みの乏しい再手術に踏み切ってしまったこと、結果としてわずか二週間で河田さんを喪ってしまったのである。

説得をくり返して当初の方針通り緩和療法に移行していれば、数力月は比較的元気な生活を送ることができたかも知れない。典型的な過剰治療を実施してしまったことになる。

河田さんは何事も前向きにとらえ陽性に積極的に立ち向かう性格の方だった。

病棟内でも他の患者さんとも気持ちよく応接し、医療者との関係もとても良好だった。

奥さんも子供達も河田さんのこの生き方をよしとしてよく理解していたし、病気にあくまで立ち向かうという決心を生きる希望の源として、とことん闘う姿勢を示す河田さんの考え方を支持していた。

結果として過剰手術となってしまった事実は覆いようもない。しかし、もし再手術を実施しなかった場合、河田さんの気持ちはどうだったのか。

はたして緩和医療を受け容れるまで河田さんの気持ちは変化しただろうか。医療者側、とりわけ泌尿器科グループの医師達にとって河田さんの事例は苫い苦い、体験だった。この場合、どのような選択が最善だったのかの答はいまだ得られていない。

ここに膀眺がんの患者さんの例を示した。

尊厳ある死を全うした加地さん、過少治療を回避できた神田さん、過剰治療の結果、早期に悲惨な死を遂げた河出さん、個々の患者さんの人生観と現代のがん医療の関わり方が提起している問題は途方もなく深くて大きい。

三人の患者さんとも出発点は膀洸がんで、病名は同じながら、その後の展開はかくも大きな違いとなった。まことにがん治療は一筋縄ではいかない。

とりわけ、進行がんの場合の診療のあり方は複雑である。

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未分類

過剰治療による死(2)

自然排尿型新膀眺は、やはり回腸を約六十センチほど切り離して新しい膀眈を作る。

この新しい膀眺を患者さん自身の尿道に吻合することにより、パウチを貼ったり自己導尿をしたりする必要がなく、 一日に五―六回、トイレに行って腹圧をかけて、 つまり息んで新膀脱内の尿を尿道から排出する、 つまり自然排尿ができることになる。

だとしたら、この方法がもっとも生活に支障のない理想的なものに思えるが、この方法にも問題点はある。

この手術法が国立がんセンターで実施されるようになっイ、まだ十年たっていないので、長期の治療成績がわからない。

それと、時には排尿がうまくできなくて尿道を通して自己導尿が必要となる場合もあるし、夜間に尿が少し漏れることがあり、パッドを使って就眠しなければならない場合もある。

つまり、ここに紹介したような現代の代表的な尿路再建法にはそれぞれ一長.短がある。河田さんはH医師から示された、パネルを見比べ、それぞれの方法の長所、問題点をくり返しH医師に確かめて、数日かけて考えた結果、二つ目の自然排尿型新膀眺を選択した。

もちろん同じ病棟内には各々の方法ですでに手術を受けた患者さんもおり、そうした患者さんたちにもいろいろと様子を聞き、さらに病棟内に備えられたビデオを見てイメージを得た上での決定だった。

この過程がいわゆる一インフォームド・コンセント(十分な説明のもとに、患者自身が納得して治療法を選択し、その治療を受けることを同意することこの実践そのものといえる。河田さんの選択の根拠は、「仕事にもどった際の生活の支障が自然排尿型がもっとも少なそうだ」と考えたことによる、と後に語ってくれた。

一九九0年二月、リンパ節郭清を含む膀眺全摘除術が実施され、希望どおり、自然排尿型新膀洸を作って尿路が再建された。

病理検査の結果、やはり浸潤性膀眺がんであったため、手術後に化学療法を一コース受けて退院した。幸いにリンバ節転移は認められず、望み得る最善の結果が得られた。

退院後も自然排尿はきわめて順調でほとんど手術前と変わらない日常生活を送ることができ、河田さんは念願の仕事にもどり、再び多忙なビジネスマンの生活に復することができた。

河田さんは「自分は良い選択をした」と何度も思ったという。

河田さんはきちんとニカ月に一度の定期検査に来院し、模範的な生活を続けていたが、 一九九二年一月、不幸にしてリンパ節転移が発見された。

膀眺全摘の際に切除したリンパ節よりもさらに上方のリンパ節に再発したのである。

手術の時点では画像診断でもとらえることのできない微小転移があって、それが約二年の間に徐々に育ってきたものと思われる。

再入院の上、現代最強といわれる化学療法をさらに2コース受けたが、リンパ節転移巣の大きさは変わらなかった。

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がんの実例

過剰治療による死(1)

河田次郎さんは六十歳の男性。大手の製造業の営業部長として現役の最前線で猛烈に働いていた。

一九八九年二月、尿に血が混じったことがきっかけで受診した近くの病院で、膀枇がんと診断された。

経尿道的切除術という内視鏡手術を受けた。病理診断の結果、浸潤性の膀眺がんであったことから、抗がん剤療法をコース受けて勤務に復した。

一九九0年二月、再び血尿が出現し、今度は前には経験しなかった排尿する際の痛みや頻尿といった膀脱の刺激症状がそれに加わってきたため、心配になった河田さんは国立がんセンター中央病院の泌尿器科を受診した。

膀眺鏡検査によって、前同膀眺がんが認められたという同じ場所に、 一日で浸潤性のがんとわかる大きな再発巣が認められた。

河田さんは一膀眈全摘除術が必要です一、という担当のH医師の説明はすぐ理解し同意したが、膀脱を取った後の尿路の再建法については熟慮した。

国の治療がやや遅かった感はあるものの、自分の膀脱がんを根本的に治す可能性としては唯一の機会であること」、一治療後はなるべく早く復職して自分が手がけている仕事の責任を全うしたいこと」、「そのためには手術後の日常生活の障害が最小限に留まってほしいこと」一言を考えぬき、H医師から提案された二つの尿路再建法を比較検討した。

ここで、尿路再建法の内容を少し詳しく説明する。

十分な説明のもとに患者さん自身が治療法を選択する「インフォームド・コンセント」の具体的な場面を考える上で参考となると思われるからである。

回腸導管法は小腸の終わりに近い部分の回腸を約十五センチ切り離し、残った回腸と同腸を吻合し食物の通り道を確保する。切り離した回腸の口側の端を縫って塞ぎ約二十センチの長さの筒を作り(回腸導管)、これに両側の尿管を移植する。

すると、腎臓から尿管を通じて流れてくる尿がこの筒の中に流入するようになる。
回場の筒の肛門側の端を、右下腹部にあけた孔を通して腹壁の外に引き出し、皮膚に縫合することにより、筒の中にたまった尿が右下腹部のストーマとよばれる国の部分から流れ出るようになる。

この尿をバウチとよばれる採尿袋に集めて生活する。この手術法は一九五〇年代に米国で開発され、すでに四十年以上、全世界でもっともよく使われている安定した手術法である。

パウチを貼っても衣服を着れば外見は何も変わることはなく、仕事もスポーツも入浴もできる。

しかし一日に五―六回、パウチ内にたまった尿をバウチの底の栓をはずしてトイレで捨てなければならない。

また、平均して一週間に一度はパウチを貼りかえなければならない。ときにはバウチを貼っている部分の皮膚炎などが起こり、生涯にわたってその管理に注意を払わなければならない。

自己導尿型の膀洸は回暢を約七十センチ切り離して、この部分を使って袋を形成して新しい膀脱に作りかえる。

つまり、患者さん自身の小腸の一部を使って袋を作り、ここに尿をためるわけだ。

たまった尿を外に導くために回腸の一部に細Tをして、中にたまった尿が外へは流れ出ない、 つまり漏れないように特殊な縫合をする。

しかし、回腸を皮膚表面のストーマとよばれる国に縫いつけ、この口を通じて身体の外からチューブを通し、新しい膀脱まで到達させると、尿を体外に導くことができる。

回腸導管法に比べるとはるかに複雑な手術となるが、この方法で尿路を再建した場合は、回腸導管法の場合と同じように右下腹部にストーマが作られるものの、尿は漏れてこないのでバウチを貼る必要がない。

小さいガーゼ片をストーマに当てておいて、 一日に五―六回、患者さんが自分で柔らかいチューブを新しい膀眈まで挿入して尿を捨てる。

つまり自己導尿が必要なのだが、パウチから解放される点は大きく、スポーツの愛好家などには好まれる手術である。しかし、 一日に五―六回自己導尿をしなければならない、という煩雑さはつきまとう。

時にはチュープの挿入に困難が生じたり、尿が絶対に漏れない、という保証も難しい、といった問題点がある。

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がんの実例

高齢者のがんの話(2)

ところが、神目さんがそうするつもりでいたところ、小康状態を保っていた奥さんの美子さんに糖尿病の合併が見つかり、最近血圧も上昇気味であることから、再度、近くの病院に入院することになった。

神出さんは前日の膀洸がんの経緯もあるし、自分の病気のことはある程度わかっているつもりだったので、奥さんの病気にかかりきりとなった。

奥さんは入院中に2度日の心筋梗塞の発作も疑われ、心配と看病に夢中になっているうちに、神田さんは自分の病気のことは、症状もとくにないのでいつしか念頭から薄れていった。

やがて美子さんは冠動脈のバルーン拡張術や薬物療法などで何とか退院することができ、再び自宅での2人の静かな生活にもどることができた。

一九九二年二月、実にBCG注人療法が終わって約四年たって、強い膀脱の刺激症状、とくに排尿する際の痛みと濃い血尿が突然始まった。

約一週間我慢をしていた神田さんだが、血尿はいっそう濃くなり、排尿のたびに赤黒い凝血塊も混じるようになった。何よりも排尿後の尿道の奥の痛みは耐え難かった。

美子さんのことが気がかりなので、神田さんは今度は自宅の近くの個人病院に入院した。その病院には週に一回泌尿器科医が来診していたが、すでに八十九歳になっていた神田さんの年齢を考えてか、鎮痛剤を処方したり、凝血塊をとり除くため膀脱を洗浄してくれるだけだった。

苫痛がいっこうに楽にならないので、神田さんはたまりかねて紹介状を書いてもらい、再び国立がんセンターを再診した。 一九九二年四月のことである。

すでにF医師は別の病院に移っていた。

 

膀脱内を入念に洗浄して膀眺鏡検査を実施した新しい担当医G医師は、大小様々のがんがほとんど膀洸を充満する形で、いたるところに発生していることを神田さんに伝えた。

ただちに入院のうえ、諸検査を受けた神田さんは、八十九歳とはいえ、膀脱以外にはとくに異常は認められず、また膀眺のがんは大きなものも含め多発しているものの、いずれも表在性のものだった。

神田さんの治療方針について泌尿器科の症例検討会では議論が続出した。「神田さんは何しろ高齢だから、膀眺部に放射線をかけるだけに留めよう」。いや、何もしない選択肢もあるだろう」。一八十九歳とはいえ、神田さんは全身状態はよいし、幸いにがんは表在性のものだ。

 

だったらリンパ節郭清はしないで、単純膀洸全摘除術十回腸導管造設が良いのではないか。神田さんはこの手術に耐えられる。治療後はこれが一番生活は楽なはずだ」。

最終的に泌尿器科チームの結論は単純膀眈全摘による手術と回腸導管による尿路再建と決した。早速、G医師は神田さんに右の議論をすべて説明した上で、手術方針を提案した。神田さんは迷った。

自分の苫痛、年齢、美子さんの今後、彼女の病気のこと…‥。しかし二日間考え続けた神田さんは手術にかけることを決意した。

同年五月、単純膀洸全摘除術、回腸導管造設による尿路再建が実施された。麻酔医との緊密な打合せのうえ、最強のチームで段取りよく手術を進めた結果、出血量も二五〇ミリリットルで輸血なし、手術時間も三時間で終わることができた。

術後の神田さんの回復は順調だった。ほとんど何のトラブルもなく回復し、採尿用の袋(パウチ)の貼布も自信をもって自分でやれるようになった。

手術前の苦痛に比べたら、尿を貯めるパウチを貼って生活する不便など物の数ではなかった。退院の朝、神田さんは「決心して手術を受けて本当によかった」、と心底思いつつ病院を後にした。

病理所見から根治手術であったこともG医師より聞き、嬉しかった。夢のように楽になった。

美子さんも何とか元気でいてくれたし、新しい生活に慣れてくると神田さんは自分のような高齢者でも何か社会に役立つことはできないかと、ボランティアの情報を集め始めていた。

神田さんの場合は核家族、高齢者であることが理由で、きちんとした治療がなされないでたいへんな苦痛を味わう結果となったこと、合併症さえ術後に起こさなければ高齢者もかなりの手術に耐えられることなど、これからの高齢社会のがん診療を考える上で多くの示唆に富んだ例だった

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がんの実例

高齢者のがんの話(1)

神田広太郎さんは八十三歳。高校の教師を永く勤め、校長を最後に退職して、今は夫婦二人の静かな生活を楽しんでいた。

一九八六年十月、血尿に気付いた神田さんは国立がんセンター中央病院泌尿器科を受診した。

すぐに実施された膀眺鏡検査で、小豆大の腫瘍が三個確認され、表在性膀眈がんと診断された。

表在性膀眺がんは膀脱内にいくつも発生することが多いけれども、がんとしてはおとなしく、生命に対する危険性は低い。経尿道的切除術といって、内視鏡を尿道から膀眺に挿入してがんを切除する手術をすれば良いでしょう一と担当のF医師より説明された。

神田さんは「がんとしてはおとなしい性質だ」という説明から、F医師に相談をもちかけた。

「実は家内の美子が八十歳なのですが、心筋梗塞の疑いでいま近くの病院に入院して検査中です。私の病気に多少余裕があるのなら、家内の病気を優先してしばらく付き添ってやりたい。

子供達は独立し、夫婦二人きりの生活ですので……一

そこで奥さんの病気が一段落したところで神田さんの治療をすることに話がまとまり、神円さんは人院予約をして帰宅した。

それから約一カ月後に、美子さんは薬物療法を受けながら退院してきた。身の回りのことは自分で十分できることがわかったので、神田さんは今度は自分の番と考え、F医師に電話して事情を説明し、これからはいつでも入院できることを伝えた。

正月が明けるとすぐ神田さんは泌尿器科病棟に入院し、数日後、腰椎麻酔下に膀眺がんの内視鏡切除術を受けた。

 

治療後数日間は薄い血尿が続いていたが、尿道に入っていたカテーテルが抜き去られ、「病理所見も予想どおり、おとなしい表在がんでした」という説明を受けて術後一週間で退院できた。

退院前日、F医師からはの種のがんは生命にただちに影響する危険性は少ないのですが、膀眈内の別な場所に、時間をおいてまた同じようながんが発生することが多いので、術後一年間は三カ月ごとに、その後は間隔をのばしながら少なくとも五年間は膀洸鏡検査と尿細胞診検査を定期的に受けて下さい一と再度説明された。

一九八八年二一月、定期検診の膀眺鏡検査で米粒大の小さい腫瘍が四個新たに発生していることが発見された神円さんは、今度は外来でBCGの膀洸内注入療法を受けることになった。

「結核の予防に使われるBCGの生きた菌を生理食塩水に懸濁して膀眺内に毎週一回、全部で六―八回注入すると、身体の免疫活性が上がって小さい腫瘍は消えてしまいます。

排尿痛や頻尿といった膀眺の刺激症状や血尿など副作用も強いので注意しながら実施しましょう」との説明だった。

その日から週一回、外来に通ってカテーテルを膀脱内に挿入し、カテーテルを介してBCGの懸濁液を注入し、その後約二時間排尿を我慢するだけ、という簡単な治療を受けた。

四回以降、注入後に排尿の回数が多くなったり、残尿感、微熱が約一口出るといった副作用が現れたが、無事に予定のコースを終えることができた。

しばらく間を置いて膀眺鏡検査を受けると、一腫瘍はことごとく消滅していますが、粘膜に赤い部分が新たに認められること、尿細胞診の陽性が続いていますので、もう一コース、BCG注入療法を続けていただいたはうがよいでしょう」とF医師から説明を受けた。

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とある膀脱がん患者の例(3)

左頸部リンバ節への膀脱がんの転移だった。

再入院の上、前回ある程度効果を示したという多剤併用化学療法を再度一コース受けた。次いで頸部に放射線療法を受け、しこりは完全に消滅した。

詳細な全身の検査でも他には異常がないので退院を許可された。

それから八カ月後、近ごろ何となく身体がだるいこと、隣家の主人から「加地さん、最近顔色が黄色いのでは」といわれ、加地さんは「またか」と暗い気持ちになった。

「これはもしかすると今度は帰れないかも知れない」、と考えた加地さんは、福島市の親戚に来てもらって万一の場合の打合せをしたに、国立がんセンター中央病院に三度日の入院をした。

検査結果は多発性の肝転移による黄疸の始まりだった。加えて骨盤骨、肋骨にも転移が認められた。

事ここに至って加地さんは医師とくり返し今後の見通し、治療計画について話し合った。

自分のがんの状態をよく知りぬいていた加地さんは、これまで告知、治療の選択などすべて自分一人で考えて判断を下してきた。

今回も考えぬいた末の結論は「無治療、緩和医療のみを希望する、といぅものだった。国立がんセンター東病院の緩和グア病棟へ移ることも含め、 いくつかの選択肢に関して医師とよく話し合った末、もうしばらく中央病院で肝機能の庇護、疼痛緩和の医療を受けることになった。

それから約一カ月半のうちに徐々に全身状態は悪化し、あれほど頑強だった加地さんも八キ口ほどやせ、 ついには病室を出ることもできなくなった。

けれどもこの間も医師や看護婦とも平静に対話し、感謝の笑みを浮かべつつ意識を失ない、それから三日日の朝、息をひきとった。

 

一種の尊厳死ともいえる。

生前の希望どおり、解剖がなされ、骨盤内や頸部の局所にはまったくがんの再発の所見はなかったにもかかわらず、肝転移、骨転移は激しいものだった。

解剖に立会ったE医師はこの病気の難しさを改めてかみしめていた。

加地さんの例は、医学的に見れば敗北である。

しかし、治療方針を決定する重要な節日、節日で加地さんが自分自身の意志を明確に示し、最後は尊厳死に至った過程を振り返ってみると、現状で考えられる過不足のない医療ができたのではないか。

そんなふうに考えるのは医療者側に立てばのことであろうか。

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がんの実例

とある膀脱がん患者の例(2)

検査結果が出揃った数日後、約束した夜の六時に担当のE医師は加地さんを説明室に招じ入れた。

事情があって今は独り身の加地さんはただ一人で説明を受けた。看護婦が説明内容のメモを取りながら立ち会っていた。

医師は尿路全体の構造から膀眺の位置、働きについて図を描きながら説明を始め、浸潤性膀脱がんでかなり進んだ状態であること、膀洸を全部切除する必要があること、それでも治しきれると保証はできないこと、その可能性を上げるためには手術前に抗がん剤治療がニコース必要なこと、それには少なくとも六週間かかり、かなりの副作用を伴うかも知れないこと、その上で手術をした場合、その後の尿路の再建法はどうするのか、など説明は詳細をきわめていた。

加地さんはとくに抗がん剤の副作用、手術後農業にもどれるのか否か、に関して質問した。

約一時間半にわたるやりとりの末、加地さんは半ば提案を受け入れる決心をしていた。

手術をしなければどうなるのか、代わりに放射線治療を受けた場合のその後に起こりうることなどのほか、さらに、この病院の過去の手術成績ももちろん説明された。加地さんは冷静に考えてやはり提案どおり「術前化学療法ニュース十膀眺全摘除術十回腸導管法による尿路再建」を受けるのが良いと考えた。

 

医師からは「一両日考えてみますか?」と時間の猶予を示唆されたが、これまでの人生、万事を一人で決してきた加地さんはその場で「今説明された治療を受けます」と返答した。

化学療法のニコースは吐き気と俗怠感に悩まされたが、加地さんが予想していたよりは楽だった。

それと、入院してから再び始まっていた血尿と軽い排尿痛が、 1コース終わる時点から消失し、痛みも消えてきて何となく効いているのではないかという感じも自らの励みになった。

ニュースが終わった後、CT検査の結果、「腫瘍のサイズは半分ほどに縮小しました」とE医師から説明され、苦労の甲斐があったと嬉しかった。

手術の直前にはさらに詳細な説明があり、看護婦からは尿をためる袋であるパウチを右下腹部に貼ってみてのテストを指示されるなど、人念な準備が進められていた。

同じ病棟内にはすでに膀脱全摘除術を受けた後、腸で新しい膀眺を作製して尿道から直接排尿を試みている人や、回腸導管を受けて例のパウチを貼っているところを見せてくれる人など、患者さんの間の情報交換はさかんで、年輩の患者さんはその関係を称して「戦友」という言葉を使っていた。

「手術は約七時間かかりましたが、輸血はしないですませることができました」など、病室にもどって少しウトウトしている時に医師から説明があった。

 

胃の中に入っている胃液の逆流防止に鼻から挿入されている胃管の存在が不快だったが、痛みは硬膜外麻酔のせいでほとんどなかった。二日後から歩行を指示され、点滴装置をぶら下げながら身体から管を何本も出したまま病棟内を歩き回った。

これは少しきつかったが、早く元気になれるから、と医師や看護婦から励まされて努力した。

一週間後には管の類いがすべて取り除かれ、パウチ貼付の練習が始まった。「こんなに忙しいのなら仕事をしていたほうがよかった」、と冗談をいいながら加地さんは退院後の生活に備えた。

医師から、「病理検査の結果からは日標どおりの手術ができたことがわかりました。残念ながら膀眺の近くのリンパ節に2力所転移があったので、再発の危険性は残ります。したがって退院後も遠方ではあっても、三カ月に一度の通院検査はぜひ受けていただきたいと思います」と指示された。

加地さんは術後二週間で退院し、福島の自宅にもどった。久しぶりの故郷の、緑に覆われた山麓の傾斜地に広がる畑の地面を踏みしめながら、加地さんの頭の中は入院中、人まかせにしていた農作業の遅れをとりもどす段どりで忙しかった。

一年半の間、何の異常もなく元気に仕事にもどっていた加地さんは、定期検査のための上京予定の一週間前、入浴中に何気なく触れた左の頸の付け根の部分に親指の頭ほどのしこりに気付いた。「もしや再発では?」と思った加地さんの直感は不幸にも的中した。

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がんの実例

とある膀脱がん患者の例(1)

これから膀眺がんの患者さんの事例を御紹介したいと思う。

二人とも男性だが、同じ膀眺がんにかかりながら、進行度、年齢、社会との関わり方の違いなどで、病気を契機としてまったく異なるその後の人生を歩まれることになった、その点の対照が鮮明だからである。

 

自己決定による尊厳死

加地省造さんは五十六歳。福島県で農業を営んでいた。 一八〇センチを越える長身で、お腹に余分な脂肪もほとんど付いていない立派な体型の方だった。

加地さんはある朝、排尿にたったとき便器が真赤に染まったのを見てビクッとした。

「痛くも痒くもないのに尿が真赤だ。ということは尿に血が混じっているのか」。

その日、午前中に二回、排尿のたびに、同じように赤い尿が出て、その後はいつもどおりのきれいな尿にもどった。

その夜、加地さんは家庭医学書を開いて考えてみた。結石、腎炎、膀眺がん、腎がん……いろいろと恐ろし気な病名が並んでいた。

意を決して翌日の朝、車で十五分ほどの近くの公立病院の泌尿器科を受診した。

担当医は「すぐに膀洸鏡検査をしましょう」と提案し、看護婦が隣りの診察台に案内してくれた。

尿道の中に麻酔用のゼリーが注人された後、下半身がカーテンで仕切られているため見えなかったが、尿道を通して膀洸鏡が挿入されるのがわかった。

挿入時に一カ所やや痛い部分もあったが、約十分ほどで検査は終了した。予想していたよりはるかに楽だったのでホッとしながら隣りの診察室にもどると、担当医は検査用紙に所見をスケッチしていた。

円い膀眺と思われる図の中央部に大きな楕円形の印を記入し、内部を赤エンピツで塗りつぶした後、医師は加地さんに向き直った。

「膀眺に大きな腫瘍ができています。恐らく膀眺を取らないといけなくなると思います」と説明が始まった。

「やはりそうか。突然の血尿。痛みはない。数回で血尿は消えた。

家庭医学書にあった典型的な膀眺がんの症状と完全に合致する‥…」。実は加地さんが一番恐れていたのは膀洸がんだった。

紹介状をもらって三日後に上京した加地さんは、国立がんセンター中央病院の泌尿器科を初めて受診した。結果は同じで、
「浸潤性膀眺がん。この病院で治療を受けられるのでしたら、腫瘍の性質から考えて、入院の順番をくり上げて急ぎましょう」

と説明された。担当医の眼は真剣だった。

それから一週間のうちに、農作業の段どり、代わってくれる人の手配、農業協同組合との打合せなどを慌しくすませて、八階のB病棟室に入院した。

四人部屋の同室の三人とも、がんの患者さんだというのに、気持ちがしっかりしていた。病棟全体の雰囲気が明るいのが加地さんには何よりも驚きだった。

キビキビ動き回る看護婦、朝の七時半頃から夜遅くまで働く医師の姿、放射線診断部や心電図や呼吸機能検査など、いろいろな検査に出かけたが、そのつど、技師達の対応も気持ちよかった。

患者さんの間に何となく漂っている一種の同病の連帯感、患者さんと職員の間の信頼感も心地よかった。

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